蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

2020/04/24 日記実験8日目・睡眠実験1日目

hirukawa.hateblo.jp
承前。

睡眠実験開始

日記ということで、明石時間の0時で、ページを改めることにする。

  • 眠いときに寝る
  • 睡眠薬は飲まない
    • もし急な断薬で離脱症状が出た場合は、少量服用(これは予測不能
  • 刺激薬は飲まない
  • 会話をしない
    • 文字の読み書きはする(読み書き仕事は休めない)
    • 買物などには出かける
    • 人と会っても、できるだけ会話はしない

会話は、刺激薬の代わりであり、会話をしなければ、むしろ過眠が悪化しそうだが、緊急事態はとても貴重な機会なので、無会話を試してみたい。

会話が刺激薬の代わりというのも本末転倒で、会話を含む社会的身体的な行為がないから、刺激薬が必要になるのである。とくに朝に会話したり、さらに出勤すれば、刺激薬は最低限度しか要らなくなるのはわかっているのだが、緊急事態と連休ということだと、出勤したくてもできないし、遊びに出かけるわけにもいかない。現状では、仕事が忙しくて、遊んでいる暇もないのだが、それに不満はない。仕事は、遊びのように楽しい。

食事は、適当な時間に、適当に食すということで、この日記も、食事日記よりも、むしろ服薬日記に変わる。ほとんど誰も読まないであろう、細かい話だが、自分の健康日記と、研究の一環として、このブログ上に書いていく。

てんかん薬・気分安定薬、ラモトリギン、200mg/日、はなにも効いている感じはしないが、続ける。rTMSの治験に参加することを目論んでいるのだが、そもそも、治療抵抗性うつ病双極性障害という診断を満たしそうにない。オロパダジンも、これはスギ花粉症に著効なので、続ける。副作用の眠気が睡眠薬代わりになるかと期待していたが、眠気はないので、逆に服用しても睡眠には影響しない。

今後の日程だが、今日、4月24日、土曜日から、5月5日、水曜日までの12日間は(26日の月曜日の午後に人類学のオンライン授業があるのが唯一の例外だが文字授業)時間的に拘束されない日々が続く。繰り返される緊急事態はほんとうに困ったものだが、12日間も時間的な拘束がなく、人と話をする必要もない機会は、めったにない、貴重な機会である。

臨死体験研究

二百事例ほどの臨死体験の内容を定量化して分析する作業を、ゼミで進めている。生活実験はさておき、こちらが本業。生活のことばかりに振り回されて、研究が進まないのは、本末転倒である。とはいえ、寝ることも、死ぬことも、彼岸の時間、別のリアリティへの移行とみれば、これは同じことであるし、そこに、メラトニンやDMTなどの、セロトニンと類似した物質がかかわっているという意味でも、共通性がある。

人類学講義ノート

月曜日の午後に人類学の授業があるのだけが、今日から12日間の、唯一の時間的な拘束だが、形式はさておき、内容はまた、向精神薬の話へと進んでいく。先週は脳神経系の構造についての話だったが、向精神薬のはたらきを理解するだけなら、脳の構造についての知識はあまり必要ではなく、もっぱらシナプスとレセプターの話で事足りてしまう。むしろ、レセプターのタンパク質をコードする遺伝子といった、より分子生物学的な、ミクロな方向に向かっているのが、現在の、いわゆる生物学的精神医学のパラダイムでもある。

授業の流れとしても、まずは、神経系、とくに脳の構造についての基礎知識をおさらいした後で、シナプス神経伝達物質について触れる。そこから、いったん、レセプターのタンパク質の進化の話題に触れる。たとえば、5-HTTPRや、DRD4などの変異の小進化について。それから、向精神薬の分類と機能、そして、精神展開薬を含む薬草を用いる宗教儀礼の話題に進んでいく。また、臨死体験のような体験と、他界観との関係についても扱いたい。

1時に眠くなり、それから寝て、二回ほど目覚めて、また寝て、10時に起き出してきた。

両親の住む実家に帰省したついでに、そこから歩いて行けるところに、ラジウムなどの放射性物質を含む鉱石を組み合わせて病気を治すという、そういう、石を売る店があるということで、見知らぬ日本人の若い男性に、連れて行ってもらった。店主からいろいろな効能を聞き、病気治しの石ころの詰め合わせを買って帰った。店主の説明は化学的な知見からして誤りがあり、論理的にもおかしなところが多々あったが、これを有害な疑似科学として退ける気にはならなかった。こういう、善意の呪術は世界中で見てきた。そこには善意の呪術があり、治したいという人がいて、そこにプラセボ効果が働く。いや、そこに呪術的な文化的な信念が共有されていると、プラセボ効果は、レヴィ=ストロースのいう象徴的効果として、より強い効力を発揮する。もっとも、放射線量が有害なほどになったり、価格が高すぎると、問題だが、といって疑似医学を批判する人たちは、呪術を非科学的で有害無益だと決めつける、まるで19世紀の古い人類学者のような考えがあり、そこにとどまるのは、知識人としても不誠実だとも思う。構造主義という20世紀の知的進歩から学んでいないという点では、擬似科学論もまた、学術的には古すぎるパラダイムに依拠しているからだ。鉱石ショップからの帰り道、そんなことを考えながら葛藤をしていた。これは、世界各地のシャーマニズムを調査してきて、ずっと感じてきた葛藤である。

これは、現実生活の延長線上にある、軽い悪夢だった。けれども、こういう悩みは、学者の仕事でもある。

睡眠薬を止めても、それ自体には問題がない。最近はゾルピデムと、エスゾピクロンなどの、いわゆる「Zドラッグ」を処方されてきたが、これらの薬を長く使っていても、たしかに、耐性もないし、止めても離脱症状も起こらない。昨日から、股関節のあたりの筋肉がこわばるような感じがするが、これはフルニトラゼパム離脱症状のようである。フルニトラゼパムを、0.2mgだけ、これは1/5錠なのだが、二回に分けて服用すると、関節痛はおさまる。BZは急に断薬できない。ベンゾジアゼピンと、Zドラッグでは、GABAの受容体への作用機序が違う。ベンゾジアゼピンには筋弛緩作用がある。その違いのとおりだと思う。(→「睡眠薬の科学史と作用機序」)

薬物の評論ばかり書いているような気がするが、これは使いこなせれば、便利な道具である。酒やコーヒーを飲むことは、馬やラクダに乗るようなもので、昔からつちかわれた乗りこなし方があるし、馬やラクダという動物とのコミュニケーションの味や香りを楽しむことができる。酒は料理の味付けにも使える。馬が走っていること自体を眺めて楽しむこともできる。

しかし、製薬会社が開発した薬物というのは、自動車や飛行機に乗るようなものである。早く、確実に移動できる反面、機器の仕組みを知り、操作する技術を習得しなければならない。間違えると事故を起こす。無機質である。もっとも、その仕組みや技術を学ぶこと自体が面白くなると、無機質な機械が面白くなる。

フリーラン生活に入ると、生活のリズムが狂ったり、眠り続けてしまうかと思いきや、1時に寝て、10時に目覚めるというのは、そうそう悪くない始まりである。

軽く朝食。ラモトリギンを100mg服用。

以前に書いた、睡眠薬についての記事を切り出し「睡眠薬の科学史と作用機序」とまとめなおしてみた。本当は、マーケティングゆるキャラについて、もっと蘊蓄があるのだが、それは、また余裕があれば、ということで。

もういちど、ヤマハギに含まれるDMTとエストロゲンについて調べているうちに、ウトウトしてしまう。

目覚めると、今日は4月24日、土曜日。明日から、三度目の緊急事態宣言が発令される。繰り返しだが、唾液を介した飛沫感染の防止が重要で、それ以外の場面での社会的活動を制限すべきではない、ということが理解されてきたようだが、それにしても、飲食店の夜間休業要請や、酒類の提供自粛要請など、理由が説明されないまま、政策が強行されようとしている。

非常事態宣言下における夜間外出禁止令といえば、犯罪の防止、治安の維持のためだが、そういう理由ではない。古今東西、酒が禁止されるのは、自傷他害のおそれが高い危険ドラッグだからである。そういう理由ではない。

www.mbs.jp

「勘弁してくれと。今回が一番勘弁してくれと思っています。お酒を悪みたいな感じで言うてはって、お酒を規制・禁止するみたいな感じになっているじゃないですか。僕らは生きていくためにはお酒を売らないといけないですし、それで(飲食店での酒類提供が)禁止と言われたら、『死刑宣告なんですか』と言いたくもなります。いっそ“令和の禁酒法”でもやったらいいんじゃないですか」

この事態を「ファシズム」だと書いたが、それは違うかもしれない。なぜなら、ファシズムは、抑圧される当事者が望んで引き起こす抑圧という逆説のことだからである。禁煙ファシズムにおいては、一般の人々が、タバコは体に悪い、という言説を良識として支持することによって起こるものだが、いま起こっている禁酒運動?は、一般の人々が、酒は体に悪い、という「良識」を共有することから起こっているのではない。

威勢の良いことを書いていても、自分で文字を書いているだけで、フィードバックがあるわけではない。フィードバックがないとまた、ウトウトしてしまう。この眠気を覚まそうとして、刺激薬を飲みつづけてきた。

刺激薬を飲んで脳内ドーパミンを無理に出すなどという、不自然なことをしないためには、これは意外に簡単なことで、朝から人々とともに、とくに音声言語を発しながら、活動することである。

入院して体調が良くなったのは、朝から仲間たちと活動していたからであり、退院してからまた具合が悪くなったのは、朝から出勤しなくなったからである。朝から働くという、当たり前のことができない環境にいることが異常なのだが、それが非常事態である。共食さえ避ければ、朝から活動すること自体は問題ないのだが、そのきっかけがないのが困ったものである。同じことの繰り返しである。

「ノー三密」などと言われはじめたときには、東京都と、高野山真言宗広報課に対して問題提起メッセージを送ってみたが、反応なしだった。トンチンカンなクレーマーだろうか。いまだに、三密を避けようといったメッセージが流布しつづけている。真言宗がその思想を広めるチャンスでもあるのに。

三密、とは、調身、調息、調心と言いかえることもできる。つまり、呼吸が体と心の接点となり、意識と無意識を媒介する。

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脳の電圧が低下すると、目を開けていられないし、指も動かなくなる。しばらくすると、画面にスクリーンセーバーに変わる。なにかの設定で、故事成語が表示されるようになった。私はまだそれほど老人になったつもりはないのだが、志は大きめで変わらない。

またウトウトするが、刺激薬は飲まない。思ったことを文字にしていると、じつに同じことばかりの繰り返しで、冗長である。しかし、これは、思ったことを書く練習である。つくづく、自分は変なことを考えているのだろうかと思ったが、おかしいのは、むしろ社会の状況である。仕事がうまく行かなかったり、頭痛になったり、ウツになったり、胃を痛めたり、怒り狂ったり、各人それぞれ、社会的異常事態の中で、各人それぞれ、心身の弱点に問題が発生してきているのだろう。

政治家の悪口を言って鬱憤を晴らす向きもあるようだが、批判すべきは中国の市場で珍獣を売買しつづけてきた人たちである。「スペイン風邪」などと地名をつけて呼ぶのなら、「中国ウイルス」とか「武漢ウイルス」と呼んだほうが、問題の由来がはっきりするという意見もある。「中国」といっても広いし、人間に由来するものでもないので、鳥インフルエンザという言い方もあることからして「雲南コウモリウイルス」などと言えばいいのかもしれない。

いまさら手遅れだが「コロナ」という呼称は止めたほうがいい。というのは、ふつうの風邪を起こすウイルスも、多くはコロナウイルスだからである。「コロナ感染者」は、世界人口のほぼ100%である。それに、太陽のコロナとも意味がだぶってしまう。

https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2021/03/survey_covid-19_ver2_210308.pdf
三菱UFJリサーチ&コンサルティング「<速報>緊急事態宣言再発令と心身の健康」

定量的な調査によると、悪いことばかりではなく、在宅勤務によって無駄が省けたとか、家族とともにすごせる時間が長くなり良かったという感想もある。

日経メディカルからお薦めの記事が届く。

medical.nikkeibp.co.jp

日本は治安の良い社会だが、それと反比例するように、うつ病による病死者が多い。間にある変数は多数あるはずだが、自殺率は失業率と高い負の相関を示す。10年以上にわたって下がりつづけてきた失業率が、2020年には増加に転じた。

うつ病に伴う希死念慮の特効薬は、今のところケタミンだが、DMTのほうが、せん妄などの副作用が少ない。医療用DMTの合法化を進めたい。

人類学講義ノート

講義ノートというよりは、ブログ上に上げた記事へのリンクを貼り、リンク先の記事を加筆修正することが必要である。これを、月曜日の授業の前日、日曜日に受講生に流して予習してもらう。

すこし食事と、さしあたりラモトリギンとオロパダジンとサプリメントを少々。DHAは1日あたり80mg、EPAは200mgに変更。EPAは「エパデール」という製品名で持田製薬から処方薬としても発売されている。

https://auctions.afimg.jp/item_data/image/20140820/yahoo/n/n137263754.1.jpg
北極海に住むアザラシという設定なのに日本の真夏のような風情のエパチー君。そのゆるキャラとしての展開は(そしてキャラ立ての微妙な詰めの甘さも)エーザイ睡眠薬ネスタのツキノワくんと双璧をなす[*1]

ネコ

ネコの額ほどの庭に五歳のメスのトラネコが来た。原種のリビアヤマネコに非常によく似ているので「リビ」と名づけた。子猫のころはオスかと思っていたが、どうもメスらしい。(→「Necology: ネコの「事情」についての動物行動学的研究」)ネコにはエサをやらないほうがいいのだが、エサはどこか別の場所でもらっているらしい。マタタビの粉末を蒔くと、これを舐めて、マーキングし、毛づくろいをする。メスもある程度の年齢になると、マタタビに関心を持つようになる。五歳というのは、ヒトでいえば五十歳ぐらいだろうか。桜耳にはなっていないので、卵巣は切除されていないと思われるが、不明。あるいは、エストロゲンの分泌が減少するぶん、テストステロンの割合が高まり、行動がオス化するのかもしれない。マタタビラクトンはヒトには作用せず、その作用機序もよく研究されていない。

また神経薬理学の話になるが、学部生のころは、こういう研究をしていた。個体識別し、名前をつけ、積極的に擬人化せよ、何年でも追いかけて感情移入せよ、という学風が京都にはあったと思う。山根明弘によると、ノラネコの寿命は、2〜3歳だという。擬人化し、感情移入するほどに、ことにオスが去勢されずに生きることの厳しさと歓びと哀しみを感じないわけにはいかない。

www.u-coop.net
河合雅雄からゴリラ研究を引き継いだ、山極前学長の「学問はジャングルだ」という言葉が載っている。
 

わたしのノラネコ研究

わたしのノラネコ研究

この本は子ども向けに書かれているが、内容は相当にアダルトでアカデミックである。山根明弘さんは一年先輩で、霊長研の野澤先生のところでネコ遺伝学を学んだ。ちょうどPCR法が普及してきたころである。

大学に入ったばかりのときは、当初の目標どおり遺伝学を学ぶか、河合隼雄に弟子入りしなおすか、迷ったものだったが、けっきょく、遺伝学を学び(同時にウイルス学も学び)、そこから人類学を経由して、宗教人類学的フィールドに向かい、アヤワスカ茶や瞑想の世界を学び、そしてまた生物学に戻ってきて、これを総合できるようになったのは、良いルートだった。

深夜

上に戻って、人類学の授業の準備の続き。というよりは、いままで書きためた文章の整理。とくにアヤワスカのことは、かなりあちこちに書いた。今また、生化学的な側面からDMTのことなどを勉強しなおしている。

もちろん、DMTやアヤワスカについて研究するのが人生の目的ではない。それを飲んで得た体験を、どう生きるかである。これについては、則天去私とか、人事を尽くして天命を待つ、といった言葉が、しっくりくる。論語の冒頭には、五十にして天命を知る、とあるが、裁判で専門家として相談を受けたことが、いままでの研究と生活を総合的に見なおす良い機会となった。

今日のまとめ

23時を回った。24時で、日記は新しいページに移行する。現在、頭脳は明晰で、過去に精神展開薬やシャーマニズムについて書いた文章の発掘整理が捗っている。

今日のフルニトラゼパム服用量は1.0mg。2mg/日を処方されていて、これは上限なのだが、これを深く考えずに毎日2mgぐらい飲んでいた。すぐに半減できたのは、刺激薬を飲まなくなったからで、BZ減薬プログラムとしてはうまく行っている。前回、イギリスからオーストラリアに移住しながら断薬に持っていったときは、行ったり来たりで、1年かかったが、あのときは、海外を転々とする暮らしで大変だった。



記述の自己評価 ★☆☆☆☆
(思いつきを書きとめたものなので、文章が不完全であり、内容の信頼性も低い。)
CE2021/04/23 JST 作成
CE2021/04/23 JST 最終更新
蛭川立

「不思議現象の心理学」講義ノート 2020/04/23

心という、物質ではないものを、物質と同じように、自然科学的な方法で研究する、心理学という学問がいかに成立してきたか。心理学という学問の歴史は、あまり古くない。せいぜい、百年か、二百年である。

もともと、ヨーロッパでは、人間の心や魂の問題は、キリスト教などの宗教が扱う問題だったからである。それを、ヨーロッパの近現代史に位置づけて論じていきたい。「『心霊研究』と『超心理学』の科学史」に年表をまとめた。

ちなみに、アジアではどうかというと、心の問題は、古代インドの哲学で掘り下げられ、さらに仏教という宗教の文脈で、独自の発展を遂げた。20世紀になって、ユングなどの心理学者によって西洋的な心理学と統合され、トランスパーソナル心理学などに発展した。このことは、年表にも書いたが、また別の機会に論じたい。(おそらく「身体と意識」の授業で。)

ヨーロッパでは、心というか、魂の問題は、もともとキリスト教が扱う領域だった。しかし、18世紀、19世紀と、理性の時代が進み、科学が進歩するにつれて、宗教を文字どおり信じる時代は終わっていった。たとえば、肉体が死んだ後、魂は裁かれ、天国に行くとか、地獄に行くとか、そういったことが、文字どおり信じられなくなった。

人間は神が創造したのではなく、サルから進化したのだ、という進化論が唱えられ、身体は物質であって、死ねば終わりだ、という唯物論が台頭した。教会が、魂の救済だとか、死後の天国などについて語るのは、むしろ、現実社会の物質的問題から目をそらすことになってしまうのではないかという問題提起、それが、19世紀にマルクスニーチェといった、反・キリスト教思想があらわれた背景である。

しかし、聖書に書いてあることが、科学的根拠のない伝説だとしても、といって、心や魂が存在しないということにはならない。肉体の死後も霊魂は残るかもしれない、むしろ、霊魂についての科学的な研究を進めなければならない、キリスト教を発展させて、科学の時代の新しい宗教を作ろう、こうして誕生したのが、スピリチュアリズム心霊主義)や、心霊研究である。日本語で「心霊」というと、なにか怪談のようだが、もとはイギリス語で、psychical researchという。

さらに心霊研究から心理学(psychology)が発展した。日本語で「心霊」というと怪しげで「心理」というと学術的な響きがあるが、おおもとは、ギリシア語のプシュケーという言葉に由来する、同じような言葉である。

詳しい議論は、「『心霊研究』から『超心理学』へ」という長いエッセイを読んでもらえればと思う。2013年に、在外研究で、イギリスで「イギリスの心霊研究」を研究するために、ロンドン大学に客員研究員として渡航した経緯からはじまって、後ろのほうでは、心物問題にも触れている。なお、ロンドンのユリ・ゲラー宅を訪ねたのは、これを書いた翌年であった。



CE2021/04/23 JST 作成
CE2021/04/23 JST 最終更新
蛭川立

日記実験(7日目)・睡眠実験(0日目)

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承前。

音声と文字

音声言語を止めて、文字言語だけで暮らしてみると、脳はどうなるのか。実験の開始。

ブローカ野とウェルニッケ野がまったく別の領野に局在し、進化してきたということは「言語」という記事に書いた。

心理学の歴史

午前一時、帰宅。

脳の進化は人類学の授業のテーマで、さしあたりは、次の心理学の講義ノートにとりかかる。まだ眠くはない。

心理学の歴史について。

(中略)

詳しい議論は、「『心霊研究』から『超心理学』へ」を読んでもらえればと思う。2013年に、在外研究で、イギリスで「イギリスの心霊研究」を研究するために、ロンドン大学に客員研究員として渡航した経緯からはじまって、かなり長い文章としてまとめた。

さて、午前三時。さすがに朦朧としてきた。

睡眠

疲れているのに眠くならないという、おかしな感じになってきた。10時には起きて授業なので、さしあたりはゾルピデム酒石酸塩を5mg、すこしだけ一服。

心理学講義

寝たいときに寝て、起きたいときに起きると決めたものの、午前10時からのリアルタイム授業は寝倒すわけにはいかない。しかし、そう自己暗示をかけると、アラームなしに直前で目覚める。

さすがに文字は遮断できないので、メールをチェックすると、親切な読者より、夜更かししたあげくに睡眠薬を飲んでいるとは何だ、おかしい、断薬したのでは?という有り難いツッコミ。

そこでまた細かい話になるのだが、いままでゾルビデムは、当たり前のように、処方されている10mgを飲んでいた。それでも眠れないときは、20mg飲んでいた。安全性を確認するために、精神科医の友人の立ち会いの元で、40mgを試してみたこともあった。しかし、今日は5mgにしてみようと自省したのである。

禁煙宣言をしたのに、また吸ってしまったことに、屁理屈をつけて反論したり、まるで、禁煙日記のような言い訳だが、ニコチンに依存している人は、大変だろうなと思う。ニコチンは依存性が高い薬物らしい。一人で努力するよりも、禁煙外来に行ったほうがいいらしい。

ここでまたミリグラム単位の議論や、非ベンゾジアゼピン系の薬理作用や睡眠薬ゆるキャラの比較論について講釈をはじめると長くなってしまう。

不思議現象の心理学、仮想教室をオープン。昨年度から文字による掲示板方式の授業形態にしたのだが、教室でリアルに集まっているときからは考えられないほど、活発な議論が起こった。どうやら、声に出して発言するよりも、文字を書くほうが、ずっと敷居が低いらしい。これは、想定外の発見だった。

掲示板に細かい文字を書き込んでいると、だんだんに気分が悪くなってくる。もし声を出して講義をしていたら、どうだっただろう。大教室での講義は、反応がないのは面白くなかったが、大声で好きなことを話し続けるのは、良い運動でもあった。

12時30分。「お昼休みです。お昼ごはんです。食べるときにはしゃべらない、しゃべるときにはマスクしろ、ということで、また来週」と書き込んで、掲示板授業終了。いや、来週は緊急事態の連休で休講、再来週も緊急事態が続くのだろうか。夜型生活に戻りかけたところで午前中からの仕事は大変だったが、これからしばらくは、内的リズムに向き合う日々。

そう書いておきながら、食事を忘れている。しゃべらないのは、修行。

というよりも、いつの間にか、仕事をしながら食事をするモードに入っている。ときどきは、食べ物の写真も撮ることにする。

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同じお店には沖縄ミミガーが売られていた

緊急事態と会議

第三回緊急事態宣言は29日からかと思っていたが、25日からだという報道もある。

やみくもにソーシャルディスタンスと言っていた第一回のときよりも、だいぶ唾液にターゲットが絞られてきたのは、正しい政策決定であろう。しかし同時に、理由が不明確なまま「酒類提供終日禁止」など、アルコールに対する規制ばかりが強められているのも不思議現象だ。「禁煙ファシズム」に続いて「禁酒ファシズム」の時代が来たのだろうか。

blog.livedoor.jp

私は、この著者の意見には、必ずしも賛成できないが、すでに10年以上前に「禁酒ファシズム」という日本語が使われていたと知った。

問題なのは、多くの日本人が、「しらふ」の状態では「本音」を言うことができず、コミュニケーションのために、あえてエタノールのような強い薬物を施用せざるをえない社会のありようであって、ただ酒を禁止すればいいということではない。しかし、これを機会に「酒を飲まなくてもコミュニケーションができる認知行動療法」が自覚的に実行されることを望む。

それから、zoom会議。撮影されても困らないような服装に、上半身だけでも着替える。部屋は散らかっているが、余計なものは、カメラに映らない場所に移動させる。自分とその周囲の状況を撮影されると考えるだけでも、部屋を片付けようという気になる。

会議が終わった後は、疲れてウトウトする。アイソレーションタンクの中に浮いているような感覚。何度か実験に参加したことがあったが、寝返りが打てないせいか、入眠期のStage1が何度も繰り返されるような感覚だった。

20時40分。

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iPhoneの待ち受け画面は、このあたりの一億光年ぐらいの場所のマップにしている。漂流感。今いる場所は、ほどほどにローカルである。宇宙の大規模構造は、どこかニューラル・ネットワークにも似ている。

今日、金曜日は、午前中は授業、午後は会議と、仕事があったが、明日、土曜日から、5月5日の水曜日までの12日間は、26日の月曜日の午後に、人類学のオンライン授業があるだけで、時間的に拘束されない日々が続く。(ただし、文字の読み書き仕事は続ける。)



記述の自己評価 ★☆☆☆☆
(思いつきを書きとめたものなので、文章が不完全であり、内容の信頼性も低い。)
CE2021/04/23 JST 作成
CE2021/04/23 JST 最終更新
蛭川立

日記の試み(6日目) ーまたは「無為自然 ー 赤レンガ通院記(六)」ー

7時に自然に目覚める。しかしまた眠り、8時すぎに起き出し、気分が悪くて絶望的になり、それからカフェインではなくメチルフェニデートを一服し、目を覚まし、部屋中に転がっていた、可燃ゴミの袋を集めて、これが五袋も溜まっていたが、まとめてゴミ置き場に出した。おそらく二カ月ぐらいかけて蓄積した、紙屑や包装紙である。

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外はまたすばらしい晴天。

可燃ゴミという分類で出されたゴミは、いずれまとめて焼却されることになる。

散らかり放題だった部屋が、すこし清潔になった。

朝九時までにゴミを出すという小さな生活改善。

無為自然

今日は三週間ぶりの通院日で、主治医と話をした。

hirukawa-notes.hatenablog.jp
主治医との問答は「赤レンガ通院記」(一〜五)というタイトルで、今までにも書いた

前回の診察は四月一日だった。そのときは、これから新年度、大学も再開されて、元気に働けそうだ、と話した。

その後、大学は、大部分、オンライン化を継続することになり、昨年度とあまり変わらない、ほぼ在宅勤務が続くことになった。オンライン化は面白い。しかし、そうすると、また生活にメリハリがなくなってしまう。どうしたらいいのだろう。

主治医に、昨夜の思考実験の話をした。

もし、毎日、ずっと同じ部屋で、一人で暮らし、寝るときは布団で寝て、起きているときは椅子に座り、冷蔵庫か何かに、食べるものがあるという状況で、誰とも会わず、誰とも会話しない、という生活が続いたら、どうなるだろうか。

私だけが特別にリズム障害だというわけではなく、誰でも、身心のバランスが狂うだろう。人によっては、孤独に耐えられなくなってしまうかもしれないし、うまく持って行けば、深い瞑想状態に入れるかもしれない。じっさい、もし私がそうなれば、ずっと眠り続けてしまうような気はする。

本当に、そんな暮らしをしてみたら、どうなるだろうか。

むしろ主治医は、それをやってみるべきだと言った。また緊急事態宣言も出るし、連休だし、いいチャンスではないかと。

たしかに、洞窟の中で瞑想するヨーギーではないが、むしろ、そんな暮らしができるのは、滅多にないチャンスかもしれない。ヨーギーが瞑想に集中できるのは、生活に必要な食料などがお布施で賄われているからだ。そういう恵まれた条件があってのことである。説教と布施の交換で成り立っているという点では、大学教授も僧侶と同じバラモンカーストに属する。

そして、睡眠薬や刺激薬を止める。眠くなったら寝て、目覚めたら活動する。食べたいときに食べる。三年前に入院したときには、まずこの「フリーラン」という生活実験をしたのだが、じつは、すぐに早寝早起き生活に順応してしまった。集団生活という順応因子があったからだ。では、順応因子がまったくなければ、どうなるだろうか。

オーストラリア滞在中、夏休みで大学に行く必要がなくなったときには、それに近い状態だった。食事と排泄の時以外は、ずっと眠り続けていたことがあった(→「積極的な「沈黙」としての実証主義」)。

しかし、また同じことをしてみたら、どうなるだろうか。最低限、仕事上のメールのやり取りは続けなければならないし、時間的な制約はないが、仕事をしなくてもいいわけではない。

ピンチをチャンスに。むしろ、積極的に引きこもり、積極的に人を避け、オンラインでさえ会話をするのを避けてみたらどうか。そうしたときに、逆に、自分の内部にある、内発的なリズムが動き出す。薬は、社会生活に適応するための方便だが、常用してしまうと、むしろ内発的なリズムのはたらきを妨害してしまう。主治医は、そう言った。なるほど。

入院したとき、病院では、睡眠リズムの調整について、以下のようなステップがあると教わった。

  1. 薬なしで、ただ眠くなったら寝る。目が覚めたら活動する。
  2. 朝、決まった時間に起きる。昼寝は禁止。夜は、眠くなったら寝る。
  3. 朝、決まった時間に起きる。昼寝は禁止。夜、決まった時間に寝る。

1が、フリーランである。薬は飲まない。これでうまく行けば、それでいい。

朝、頑張って起きるのは、努力してできることだし、誰かに起こしてもらうこともできるが、夜、眠れないのを、頑張って努力して寝るというのは、むしろ逆効果になってしまう。このときには、睡眠薬が役立つ。寝付きが悪い人は、短時間型、中途覚醒してしまう場合は、中時間型、早朝覚醒してしまう場合には、長時間型、と、使い分けることもできる。

それから、朝、どうしても起きられないとか、起こしてもらえないとか、あるいは、昼間の眠気にどうしても耐えられない場合には、刺激薬が役に立つ。

こうして得られた知識は、自分の生活を整えるのにも役に立っているし、生活リズムが狂ってしまって、大学に来られない学生の指導にも役に立つようになった。

ちょうど生活日誌をつけはじめたところでもあるし、緊急事態を良いチャンスとして利用してみたらどうなるか。言われてみれば、なるほど、やってみようと思う。そういう、自分でも考えつきそうなことに、あらためて気づかせてくれるのは、良い医者である。

今後のスケジュールを考える。今日は通院とゼミのために外出した。

明日、23日、金曜日は、午前中はオンライン授業で、これは文字だけの掲示板。午後はオンライン会議である。会議は、とくに議論がなければ、自分から発話することは、あまりない。土日をこえて、月曜日はオンライン授業。これも文字だけの掲示板。

その後は、火曜と水曜は、リアルタイムの仕事はなく、29日、木曜からは、連休に入ると同時に、緊急事態宣言下になる。

連休が終わって、翌日、5月6日の木曜には、三年生のゼミがある。しかし、緊急事態は、9日の日曜まで続くらしい。

以上、リアルで人に会わない、アイソレーション実験は、22日の金曜日から、短くても、5月5日の水曜日まで、13日間も続けることができる。ひょっとしたら、5月9日の日曜日まで、17日間、さらに長く。これだけの余裕は、なかなか得られないことだ。しかし、文字を書く仕事は続けるから、仕事には支障をきたさない。しかも、遊びのために外出するのを避けようという、緊急事態宣言の趣旨とも整合的だ。

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「精神神経科」という冗長な日本語。モノとココロの交わるところに、なぜか「神」という漢字が二回重複している。

次回の診察の予約は、薬が処方できる最長限度の、四週間後に決めた。先生と精神と身体と医学の話をするのはとても面白いのだが、医者に来るのを楽しみにしてはいけない、と言われた。医者に通っているヒマがあったら、その時間に、もっとやるべきことがあるだろう、それだけの能力があって、学んできたことを活かせる場も与えられているのに、もったいないぞ、と言われる。

私が、病気や、病気の治療のために時間と労力と保険による負担金を費やすのは、ひとり私じしんのためではなく、社会的な損失でもある。医学の勉強をするのは面白いし、それがまた自分の仕事にもフードバックされ、研究も、より深まった。とはいえ医者に通うのが楽しみだというのは、たしかに倒錯している。本末転倒である。

医者に来るなと言ってくれる医者も、良い医者である。

本郷から駿河台に移動して、三年生のゼミ。これだけは、大学内での対面授業である。VRについて。

ゼミ生たちとの議論は楽しい。同じ空間で音声言語で話をすると、ふつうに脳が作動する。

社会的な隔離生活の中で、コミュニケーションの様態が試されてきたが、私じしんにとっては、同じ言語的コミュニケーションでも、「音声」はリアルであり「文字」はリアルではないのだと気づいた。ヒトをヒトたらしめているのは言語だというが、その基本は音声言語である。文字は、非常に新しい時代の人工的な発明であり、地球上では、まだ多くの人たちが、ほとんど文字を使わない生活をしている。

「音声」を使わない、「薬物」を使わない、実験を始めてみる。



記述の自己評価 ★☆☆☆☆
(思いつきを書きとめたものなので、文章が不完全であり、内容の信頼性も低い。)
CE2021/04/22 JST 作成
CE2021/04/22 JST 最終更新
蛭川立

日記の試み(5日目)2021/04/21

hirukawa.hateblo.jp
承前。

前夜

あさってにも三度目の緊急事態宣言が発令される予定だという。出勤することで生活のリズムが良好だったのだが、また自宅生活が増えてしまうと具合が悪くなってしまう。布団の中で考えて暗澹たる気分になる。眠くならない。夕食があまり食べられなかったぶん、夜遅くになってゼリーやら魚肉ソーセージやら、いろいろ食べてしまった。

食べると眠くなるのだが、寝るために食べるとは、欲望が倒錯していると、ロンドンの分析医に叱られたものだった。あのころは、睡眠薬の断薬を進めるいっぽうで、練る前にボンベイ・ミックス等、インド系スナック菓子をコップ一杯分ぐらい食べていて、そして肥満になっていた。

ゾルピデムやゾピクロンを組み合わせて、やや多目に数錠服用。その後はすぐに意識を失う。

目覚めると5時、また目覚めると6時、また目覚めると7時。これで起き上がる。朝ふと目覚めると5時、起きるのにはまだ早すぎる、という感覚は、三年前に、入院したときに身について、退院した後も、一年ぐらい続いていたが、やがて消えていった。その感覚がもどってきたような。あるいは睡眠薬をたくさん飲んだから、眠りが深かったのかもしれない。

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4月20日の心拍数

その前の晩も六時に自然に目覚めたのだが、服用した睡眠薬が多かったため、眠りが深くなったようだ。昨日は午後に長時間しっかり働き、その後、ぐったりした、きれいなパターンが出ている。夜にまた心拍が上がったが、その前に入浴して寝てしまえばよかったのだろう。

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ブライトライト二台を並べて光療法

食後はラモトリギンは飲んだがオロパタジンは飲まなかった。今までずっと朝に眠くなる薬を飲んでいたとしたら、それは間違いだった。

食と緊急事態(余談)

阪神地区を中心に変異株が流行し、東京と大阪とそして兵庫が連休期間に緊急事態宣言といったニュースを目にする。

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東京の重症者数は、2020年5月と2021年1月にピークがあった。その後は50名程度で増減なく推移している。

stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp

一本鎖RNAウイルスは頻繁に変異する。感染力の弱い変異はすぐ淘汰される。重症化率が高いと宿主を殺してしまう。だから、感染力が強く重症化率の低い変異が選択されて集団に広まっていく。

今回感染力が強いとされる英国株の重症化率はどうだろうか。「変異株は重症化しやすい?」という東京新聞の記事を見つけた。

www.tokyo-np.co.jp

「変異株が重症化に関与か」という部分に、イギリスでの研究では「重症化か死亡した割合は、従来株38%、英国株36%だった」とある。いっぽう、十代の子どもへの感染力が高いという。

語尾が「か?」といったスポーツ新聞的表現には、信用ならない煽りが含まれていることが多いのは、周知の事実である。

www.niid.go.jp

さっそく一読者より、新聞報道などではなく、せめてこの程度の報告には目を通しておくべしという指摘があった。いま詳しくチェックしている余裕はないが

  • 感染力は強い
  • 20歳前後の感染者が多い
  • 死亡リスクを増大させる

といったところだろうか。

ウイルス自身が、より感染力が高く、より重症化率の低い方向に変異しようとしているのではない。突然変異はランダムに、多数起こる。その中で、より感染力が高く、より重症化率が低い変異が、結果的に生き残りやすい、ということである。突然変異はランダムに起こり、淘汰の結果、遺伝子頻度が変わる、というのが、ネオ・ダーウィニズムパラダイムである。これに対し、変異自体に、なにか自主的な方向性をみようとするのが構造主義生物学なのだが、さて、それはまた別記事にて。



10時半、やはり体が怠くなってくる。明日は病院で薬の相談をする。今日はここで改めてコンサータ18mgを試す。

成人のADHDにかんしては、成人の発達障害全般と同様、社会的に構築された疾病喧伝という側面が大きい。双極II型障害における軽躁状態を誤診しているという指摘もある。その場合、多幸感や誇大妄想などを伴うのだが、ADHDの場合は、焦燥感が中心である。もっとも、WHOの国際比較研究では、日本人には軽躁病はほとんどないとされる。アメリカ的診断基準にもとづけば、文化差が出てしまうのは明らかだ。

明確なバイオマーカーが発見されるまでは、精神疾患(ほんとうは神経疾患)の診断は社会的な文脈でなされるのだという注意が必要である。そしておそらく「患者」の多くは、治療が必要なほどの病気ではない。

成人期ADHD診療ガイドブック

成人期ADHD診療ガイドブック

  • 発売日: 2013/08/01
  • メディア: 単行本
専門知識にもとづいた良書も多数あるが、研究自体が疾病の存在を社会的に構築してしまうというパラドックスがある。メチルフェニデートの歴史など、科学史的視点から書かれた好著。

明日は東大病院に行く。処方されている薬の種類を相談したい。

病院は案外ノンビリしているということはすでに繰り返し書いた。新型コロナウイルスの最大の感染経路は唾液であるということがわかってきた(症状が出てくれば、咳は唾液や痰、くしゃみは鼻水、下痢は便に注意なのだが)から、緊急事態といっても、ようするに、二人以上で会話しながら食事をする、ということを止めれば良いのだが、そういう方向に規制が特化していったのは、正しい方向だったといえるが、共食欲求は本能に近いものであり、なかなか根治できない。

とくに、家族で共食しない、共食するときにはマスクをする、というのは、かなり抵抗があるだろう。以下のような簡単なアルゴリズムを考えることもできる。

  • 家族のメンバー全員が自宅から出ない
  • 自宅から出ても、会食の場に行かない
  • 自宅から出て会食して戻ってきた人は、二週間ほど他のメンバーとの共食を避ける

考えてみれば、緊急事態になる前から、パソコンを打ちながら軽食をつまむという食習慣が身についてしまっていたので、二人以上で会話しながら食事をするという習慣自体が少なかった。公私ともに打合せは研究室で、軽く飲食しながら行うように集約してきたので、人と会うために飲食店を利用することもほとんどなくなった。ふと、インド料理が食べたくなって、行くことがあるが、基本、思いつきなので、一人で行く。もちろん、集団行動は好きなのだが、誰かと何かのイベントがあって行く場合も、目的重視で現地集合、飲食店などを介さなかったことが多いし、学会や研究会では、二次会で酔ってグダグダと生産的ではない議論になる前に、会場で率先して手を挙げて言いたい放題議論して、二次会には行かず、スッと去るというスタイルをとるようになった。これは、2014年にクイーンズランド大学でお世話になった科学哲学のフィル・ドーウェ先生の真似である。こういうことだから、付き合いの悪い、孤独を愛する人であるかのようなイメージがあるのだろうか。すくなくとも、フィル先生は、そんな感じにみえた。

日本での緊急事態宣言をみて、特異的なのは飲食店における酒類の提供の自粛要請である。酒が自傷他害の可能性の高い薬物だからではなく、飲むと大声で話すからだろう。逆にいえば、日本には、酒を飲まないと人と話ができないという文化があることが前提とされている。フレンドリーで大きな声ではっきり自己主張する白人社会の基準からすれば、日本には軽躁病など存在しないように見えるだろう。

私は酒を飲まないし、料理の味付けとしては美味しいと思うが、他人と話を進めるために飲む必要性は感じない。オキシトシンを吸引しても他人への信頼性は高いままだった。リラックスするだけなら、ベンゾジアゼピンのほうが洗練されている。

このことは不思議に思えるが、結果的にアルコールによって身体を壊したり、酩酊者による器物破損、暴力そして殺人といった弊害は減るだろう。これは、長年、酒害に苦しめられてきた日本社会の大きな変化として注目したい。

さて、余談を書くとまた長くなってしまうが、タグをつけて保存して、別記事にてまとめなおば良かろう。これが日記をつけはじめた理由だった。

けれども、会食の習慣のある人には、食事の記録をつけてみると、どれぐらいの頻度で、誰と、どのように食事をしているのか、それを自省できるかもしれない。

指伝話が、午後1時です、昼食の時間です、と告げる。メチルフェニデートの効きはたしかに切れ味が良いが、やはり食欲低下などが起こる。カフェインのように動悸がしたり、直接胃を痛めるような副作用はない。

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あらためて、未処理の業務、今後の計画をToDoリストとして書き出してみると、じつはスケジュール的には、かなり厳しいことがわかる。身体を壊さぬよう、無理をせず、計画的に作業を進めなければならない。

液晶画面に向かって作業をしているうちに、うとうとしてしまう。それから目覚めると、すこし胃がむかむかする。中途半端に眠って醒めると、後味が悪い。液晶画面から目を離して、すこし休憩。



タイでの出家生活では、人との会話は禁止されていた。禁止されていたということは、同じお寺の中に、たくさんの人がいたということでもある。朝は四時に起こされ、その他、食事や作務の時間も決まっていた。

思考実験ではあるが、もし、働く義務もなく、外出自粛状態で、ずっと同じ部屋に一人で暮らしていて、寝るときは布団で寝て、起きているときは椅子に座っていて、冷蔵庫か何かに、食べるものがあるという状況で、誰とも会わず、誰とも会話しない、という生活が、三日、一週間、一ヶ月と続いたら、どうなるだろうか。人によっては、孤独に耐えられなくなってしまうかもしれないし、人によっては、深い瞑想状態に入れるかもしれない。もし私がそうなれば、ずっと眠り続けてしまうだろう。

オーストラリア滞在中、夏休みで大学に行く必要がなくなったときには、それに近い状態だった。食事と排泄の時以外は、ずっと眠り続けていたことがあった。(→「積極的な「沈黙」としての実証主義」)



記述の自己評価 ★☆☆☆☆
(思いつきを書きとめたものなので、文章が不完全であり、内容の信頼性も低い。)
CE2021/04/21 JST 作成
CE2021/04/22 JST 最終更新
蛭川立

「人類学A」2021/04/20 講義ノート

高校生物を振り返る

毎年の講義をしていて考えなおしたことがある。人類学の受講生は、高校を卒業し、入試を通ってきたばかりの学生である。いわゆる私立文系の入試科目は、国語と英語と社会の三科目であることが多い。数学選択者もいるが、理科の選択者はいない。そうすると、大学のフレッシュメンに講義をするのなら、高校生程度の知識から始めたほうがよいのかもしれないと、考えなおした。

脳から向精神薬へ、宗教儀礼

春学期の人類学Aのほうは、「人類学とは何か」というイントロダクションから始まって、脳神経科学の基礎知識。まず、ヒトの大脳化の個体発生と系統発生を振り返る。それから、脳の大まかな構造、大脳皮質の構造、神経伝達物質、等々の基礎。これらの基礎は、高校生物レベルであると同時に、一般教養としても知っていて良いレベルである。

それから、蛭川の専門分野である、向精神薬に話を進めていく。一般教養としていちばんのポイントは、向精神薬の正しい分類である。この分類のためには、先に神経伝達物質の種類と分類という基礎知識が必要である。(→「神経伝達物質と向精神薬」)逆にいえば、向精神薬の作用を知るのに、脳全体の構造を知る必要はない。

生物学にかぎらず、大学で学ぶ知識は、中高生で学んだ知識の延長上にあり、また、そうあるべきなのだが、こと向精神薬の分野においては、中高生までに、逆に間違った知識の教育が行われているので、それを補正しなければならない。あらゆる薬物を区別せずに絶対にダメだと強く教えられ、いっぽうで、酒やタバコは、一定の害があり、未成年は服用しないように、と指導されても、犯罪として取り締まられるものではない、と教えられる。じっさい日本の法律もそうなっている。「世間」で、正しい社会人の一般常識として流布している知識がまた中高での教育の延長線上にあるのだ。そうであれば、人類学の授業で聞いた知識を、社会に持って出てほしいと思う。

そこまで話して、やっとDMTなどの精神展開薬や臨死体験という、私の研究テーマまで持ってくることができる。教養課程の前期科目なのに、急に専門的な話に入っていくのは、二年生が秋になって分析ゼミを選ぶときの判断材料にしてほしいからである。

ヒトの脳の系統発生と個体発生

サルの一種からヒトが進化し、ホモ・サピエンスがアフリカから世界中に拡散したという、人類の系統進化の詳細は、秋学期の人類学Bで詳述するので、この人類学Aではざっと「人類の進化と大脳化」を斜め読みしてもらうだけで通りすぎる。ヒトの脳は、ゴリラとチンパンジーの共通祖先と分岐した後に、三倍の大きさになった。

脳の系統発生と個体発生」も図だけでもざっと見てほしい。人間以外の動物のことは詳しく知らなくてもいいのだが、人間では大脳が大きくなりすぎていて、脳が、神経管という管状の構造の先端が膨らんだものだという基本構造がわかりにくくなっている、ヒトは、大脳(という呼称自体が、ヒトの脳の構造について言ったものだが)大脳以外の脳の部分が、外側からは見えにくくなっているから、より古い動物の脳を見たほうが、全体の構造がわかりやすい。

さてヒトの脳の構造については、皆さんと同じぐらいのころ、大学一年生か二年生のころに書いた、鉛筆手書きノートが見つかった。「脳とホルモン」にアップしておいた。なにしろ三十年も前に書かれたものだから内容が古いが、しかし、だいたいの部分は、今でも通用する。解剖学の分野は、かなり古い時代に確立したもので、その後、あまり変化していない。

看護学生用の良質な図解を「ヒトの脳の構造」に紹介しておいた。

OpenStaxの『生物学』はオンライン上の良い教科書で、「第35章 神経系」(外部リンク)は脳神経科学の基礎を図解でよく説明している。

脳の各部位の詳細は「神経系の階層構造」に和欧対訳で一覧表を載せ、Wikipediaへのリンクを貼っておいた。

なお脳の構造は立体的なものだから、実物を手に取って見るのがいちばんわかりやすい。実物の解剖から3Dモデルまでのいろいろは「脳構造の理解に役立つ製品」に、いくつか紹介しておいた。(ニワトリの脳の解剖の実際の写真が表示できなくなっているかもしれないが、見てあまり気持ちの良いものでもない。)

じつは脳の構造はあまり詳しく知らなくていい

いろいろ書いてきたが、じつは、向精神薬や、それを使った宗教儀礼や、あるいは、精神疾患、神経疾患の治療薬を理解する上で、脳の構造については、あまり詳しく知らなくてもいい。

投げやりのようだが、たいがいの薬物は、神経伝達物質と同じような構造を持ち、神経伝達物質と同じように機能する。つまり、口から飲んで、体全体、脳全体に物質を行き渡らせるだけである。たとえば、前頭前野だけにドーパミン受容体拮抗薬を注入するといった治療が行われないのは、技術的に難しいというよりは、脳のどの部分がどんな働きをしているのか、それが詳しくわかっていないからである。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(インターネット上の記事を集めたものであり、内容の信頼性は中程度)
CE2021/04/20 JST 作成
CE2021/04/20 JST 最終更新
蛭川立

日記を書く試み(四日目)

hirukawa.hateblo.jp
承前。

前夜

前夜は布団の中で考えごとなどして、いつものように寝つきが悪かった。ブラジルのことなどが思い起こされたが、サント・ダイミの聖歌は、日本語にするなら、力を与えよ光を与えよ、蔓は力で葉は光、と置いたほうが、韻律がよいかとか、脳内校正が続いてしまう。

楽しいことを考えて眠くならないのは楽しいことだが、思いついたアイディアは枕元のスマホにメモして、眠りの呼吸に戻す。拡散していく思考を拡散していくままにして、呼吸に意識を戻す、という方法は、理屈ではわかっているが、実践は難しい。実践経験を十分に積んでいても、しばらく間が空くと、また難しくなる。

いつものように睡眠薬を適当に飲んで寝る。夜は枕元にマイスリーとルネスタがあって、それを適当に使いながら寝ているのだが、何を何錠飲んだのか、その場で記録していないので、はっきりわからない。

ネスタとは物質名をエスゾピクロンといい、そのキャラクターはツキノワくんであり、などと講釈を始めるとまた思考が飛んでいく。それは別の記事に書くとして、思考を日記に戻す。

そして朝は自然に6時すぎに目覚めた。またうとうとして、7時すぎに目覚め、というのは、入院していたときのパターンに似ている。朝六時に自然に目覚めるというパターンは退院後はしばらく続いたが、最近は消えていた。

講義ノートのチェック。
hirukawa-archive.hatenablog.jp
ニワトリの脳の解剖の写真が表示されない。これは、はてなブログと、Googleフォトとの連携が、2020年初頭に切れてしまって以来、復旧していない。しかも表示されないはずの写真が自分のパソコンからは見えてしまう。学生さんと通話。朝早い通話は脳が目覚める。なにか、仕事上の問題が発生して、通話せざるを得ないという義務感が、脳を覚醒させる。朝から急ぎ解決すべき問題が起こって朝飯前に通話せざるを得ないシチュエーションを毎日作ればいいのだと思う。

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朝食など。個々の写真の説明を始めると長くなるので、省く。

特筆すべき点としては、身体年齢が43歳になっていることだが、これは、どういう計算なのかわからないが、あまりにも若すぎる。もっとも、体感としては、違和感がない。最近は、若返っているように感じる。これは、病気が良くなってきたからだろう。日記の開始とともに、しばらく空きがあった睡眠日誌を再開した。睡眠相が前進している。

食べものよりも、服薬のほうに自覚的になってきた。ラモトリギン100mg。これは、消極的な意味でしか飲んでいない。DHAEPA葉酸、鉄、亜鉛、そしてオロパタジンは副作用で眠気が出る抗ヒスタミン薬なのだが、睡眠薬代わりの裏ワザとして処方されているのに、朝に飲んでいるのはおかしい。

朝食後の段階では、中枢神経刺激薬もベンゾジアゼピンも服用していない。

日記を書くようになってから、気づき、アウェアネスのレベルが上がって、生活改善が急に進んでいるが、しかし余計な文章を書きすぎている。せっかく脳の調子が良くなっているのに、他の仕事を推敲する時間を圧迫している。

心がいつも焦って走っているのは、時間割がうまくできていないからである。一日、一週間のサイクルで予定表を作ってみよう。なにしろ今年度の4月前半は、授業や会議をオンラインにするかオフラインにするかで右往左往状態で、予定が決まらなかった。

11時JSTUTC+9。朝起きると、この時間に眠気が来る。今日は自宅でじっとしているので、モダフィニルを半錠。メチルフェニデートは強すぎるので、しばらく飲んでいない。強い薬は、必要なときには使ったほうがいいが、常用するものではない。

表題には日記四日目とあるが、じっさいに書きはじめたのは12日で
horyu.hatenablog.jp
それから8日経っている。もともとはブログをメモ的に使おうと考えていただけだった。食事日記になったのが四日前。

今日これからの予定もリアルタイムで書いて自分で読んで消す予定。

19〜21時には、研究室から自宅宛に送った本が届く。それから、自宅にある本を研究室に送り出す。大量の本があって、しょっちゅう行き来させている。

13時、昼食のお知らせが来る。

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人類学の授業予告を流して、それから二時までにざっくり講義ノートをまとめようと、バタバタしていると、軽食をつまみながらキーボードを打つという、けっきょく元のパターンに戻ってしまう。

乳製品に偏っており、肉は鶏肉が主であり、食後はフェンネルを嗜むあたり、インド文化の影響を強く受けている。当地におけるヒンドゥームスリムの対立も気にしている。カトマンドゥのカーリー寺院で見たニワトリの供犠、そこで出会った非暴力の聖者、ミルク・ババのことも深く記憶に刻まれている。

二時。学生さんとの話し合いの約束があった。適当な服装だが、気心知れた男子学生は、気にしないことにする。

彼は、別の大学の学生だが、今年度も大学が閉鎖されて、すべてオンラインになったので、といって自宅にこもっていてもしょうがないので、いっそ外国に行ってしまいたい、と言っていた。なるほど大学のオンライン化は、逆にオンライン留学生に来てもらうなど、グローバル化にもつながっている、そういう前向きな側面もあるのだと、面白い話ができた。

自宅に引きこもっていながらにして、いつも意識が世界中を飛び回っているのは、おかしいのかと自省してきたが、やはり、そうではあるまい。

いったい目の前にある食べ物は、どこから来たのか。その来所をはかる。この身体は、中国やアメリカやオーストラリアなど、地球のあちこちから来た分子の混合体である。

流行しているウイルスはどこから来たのか。中国の雲南だ。それは切実な問題だ。この身体がすでにグローバル化しているというのに、多くの日本人が無自覚なまま、移民を排斥し続けている。

そして三時半から六時半まで人類学のオンライン掲示板ディスカッション。予定時間の二倍。

神経科学の基礎について学んでほしいと思って教材を準備したのだが、けっきょく、薬物問題が盛り上がる。まあ私が誘導しているのだが、酒やタバコは合法なのに、アヤワスカ大麻はなぜ違法なのか、という問いかけに、食いつきが良い。いまアヤワスカが違法かどうか裁判で争われているということもかなり認識されている。

向精神薬というテーマの背後には、物質と精神という形而上的な、そして精神展開薬の背後には、さらに深遠な神秘思想が存在するのだが、それよりも、身近な社会の問題のほうがわかりやすいのだろうし、まずは学生諸君を入り口に案内することから。

みな、素直で、賢い。未来は明るい。

そして四時間走り続けて、ぐったりする。また食欲を忘れていた。キーボードを打ちながら、いつの間にか、あれこれ食べていたかもしれない。

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さしあたりは、かの聖者のように牛乳を一服。

この後は、サラダを少々食べ、ラモトリギンやオロバタジンや、その他サプリメントを服用した。もっと詳しく書こうと思ったところが、あれやこれやで、気づくとすぐに11時になっていた。そろそろ寝る時間。この、時間間隔が飛んでしまうのが大きな問題なのだが、11時だと気づけるようになっただけでも進歩である。こんな基本的なことで進歩だというのも情けない話だが、睡眠障害者にとっては、この基本が大事なのである。



いっそ海外に移住してしまいたいという大学生のことについて、それは面白い発想だねえ、と、励ましつつ、じっさいには、諸外国に対しては、ほぼ、渡航中止勧告が出ているのも現状だと、熱い議論を交わした。そのことを、この日記に書いた。しかし、考えなおして、事後的に削除した。

www.anzen.mofa.go.jp

この日記は、自身の健康管理のための覚書なのであって、つまり寝起きした時間や食べ物、服薬の記録であって、それ以上のことは書けば長くなりすぎるし、他人がどうこうしたとか、書けば逆にプライバシーの侵害になるし、それについてどう考えたかとか、移民問題だとか、余計な話は、必要におうじて、別の場所に書けばいいと考えた。と書いているうちに、また長くなってしまった。

11時30分。一日ぐらい風呂に入らなくてもいいか、明日も自宅仕事だし、ということで、今日の活動は終わり。

この記録をつけ始めてからは、誰が読んでいるかは別にして、自分の生活を自覚するのには、意外に、とても役立っている。たったこの数日で、生活がだいぶ変わった。



記述の自己評価 ★☆☆☆☆
(思いつきを書きとめたものなので、文章が不完全であり、内容の信頼性も低い。)
CE2021/04/20 JST 作成
CE2021/04/20 JST 最終更新
蛭川立